#もしも5年前の自分に30秒だけ会えたら
こんなハッシュタグをTwitterで最近見かけた。
「なんかツイートしようかなぁ。」
先日そんなことを考えながらバイト帰りにふらりと立ち寄ったコンビニの駐車場で、ちょうど5年前に一緒に住んでいた友人とバッタリ再会した。
お互い全く変わっていなかったのですぐに分かった。変わっていたのは、車好きだった彼の車がかつてのシルビアではなく、シルバーの軽自動車だったことくらいだった。
お互い研究科こそ違えど同じ大学院の2年生なので、話は自然と就活の結果になった。僕が内定先を告げると、彼はビックリした顔をして、「勝ち組だね」と言った。
彼のほうは就活がうまくいかなかったらしい。それでも何とか横浜の小さな企業に決まったと言い、二人で近況報告をしながらこれまでの時間を埋めた。
別れ際、「今度ゆっくり飲みに行こうよ」と言った。別れ際の常套句だ。だが、生真面目な彼は少し困った顔をしてこう言った。
「ちょっと難しいかなぁ。子供の面倒があるからね。見る?」
とても驚いた。彼が乗っていたシルバーの軽自動車の後部座席には彼の可愛い赤ちゃんが座って微笑んでいた。
「就活中に子供が出来てね。籍も入れた。来年からは一家で横浜なんだ。」
さっき彼に言われた「勝ち組」の意味が少し重く感じられた。
彼と別れた帰り道、僕は5年前のことを考えていた。
当時僕は大学進学を機に山口に来たばかりで、山口を憎んでいた。地元以上の田舎に困惑し、こんな田舎で何が出来るんだ、大学なんてすぐに辞めてやる、と毎日口癖のようにぼやいていた。チャンスのない毎日にも、チャンスを作り出せない自分にもうんざりだった。明日が見えず、苦しんでいた。
そんな僕を彼はいつもなだめてくれた。僕と違って安定志向だった彼には山口はとても住みやすかったらしく、山口の利点を挙げてはいつも僕を引き止めてくれていた。
大人の事情で僕らの住んでいた一軒家が建て壊しになり、僕らは別々の道を歩むことになった。
僕は今のバイト先の居酒屋に出会い、サービスの面白さにのめり込み、お店のキャンペーンを自身で企画したりしながら大学に通った。毎日バイト先の店をもっと繁盛させることを考えていた。気づけば、店長代理のようなポストに落ち着いていた。
アルバイトと研究の両立があまりに忙しくて学部の就活は諦めた。ベストなコンディションで就活したかったからだ。加えて地方学生の就活にはお金がかかる。勝負は院卒だと割り切った。
僕には野心があった。「今度こそ田舎から出てやる。東京行って、世界を舞台にビジネスマンとして成功して、本を出すんだ。」
だから大学院での就活はがむしゃらに頑張った。慣れないスーツを着て全国を飛び回った。周囲の友人からは「早すぎる」「やりすぎ」だのと言われたが全然気にせず駈けずりまわった。
大事な自分のキャリアのスタート地点を決めるんだ。一ミリも妥協はしたくなかった。居酒屋でのバイトで得た経験、研究で獲った賞、田舎ならではのエピソード、山口で得た全てを武器に自分をPRしまくった。
結果的にウチの大学で今年一番の就活成功者と周囲から言われるほどの成果を出した。まだ就活に苦しむ周囲を横目に僕は複数の企業から食事会や懇親会に誘われた。そして、TOPIX core30にも名前を連ねる今の企業の内定を決めた。
一応言っておくが、僕は大手企業の内定が必ずしもベストの選択ではないと思っている。出来れば僕は学生起業したかったし、ベンチャーに就職するのだって今は全然面白いと思っている。
だが、今の日本では、ましてや地方の大学ではいまだに大手企業内定者は羨望の眼差しを向けられることになる。僕は努力したし、結果にも満足している。僕のようになりたいという後輩には惜しみなく力を貸していくつもりだ。
5年前、僕を引き止めてくれた彼の存在がなければ、今の自分は絶対にないだろう。同時にあの明日が見えない日々の苦しみも絶対に必要だったはずだ。
学生生活をあと半年残した僕が今、5年前の自分に30秒だけ会えたなら、「それで良いよ」と声をかけるだろう。
今抱える悩みや不安はあって当たり前のことであり、自分を更に強くしてくれるはずのものだ。だから、それで良い。そのまま頑張れ。
きっと5年後の僕も、今の僕にそんなこと言うんだろう。知ったような顔して。
5年前、山口の綺麗な海で
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